長崎街道

山家宿へ 
~筑前・筑後・肥前の三国の境目~

 筑紫野市山家に遺構を残す山家宿は、筑前六駅のひとつ。長崎街道・日田街道・薩摩街道が交差する交通の要衝として幕府の長崎奉行をはじめ、現在NHK大河ドラマでも放映されている篤姫や島津斉彬をはじめとする九州各藩の大名らが通った場所です。
山家宿の入口、西構口
▲山家宿の入口、西構口

 難所といわれる冷水峠を越え、やっとの思いでたどり着いた人たち、そして日田街道や薩摩街道から本格的に江戸へ向けて歩いていこうとしていた人たちは、どんな思いでこの場所を通ったのでしょうか。そんなロマンが交差する山家宿を歩いてみましょう。 

 山家宿には「構口」(かまえぐち)と呼ばれる宿場の出入り口を示す石垣と土塀が残されています。昔は筑前六駅にのみあったのですが、現在では北九州市木屋瀬宿とこちらの山家宿だけわずかに現存しています。特に、山家の西溝口は道の両側とも石垣の上に土塀、瓦をふいた昔のままの姿を伝えているのが貴重です。

『筑前名所図会』にみえる大楠
▲『筑前名所図会』にみえる大楠(左はし)

 JR筑前山家駅から北西240mほどの所に、山家九区の公民館があります。昔その公民館の敷地内に、大楠がありました。長崎・出島のオランダ商館から江戸参府の途中、山家宿を通ったドイツ人博物学者ケンペルは、「山家の手前に一本のクスノキがあり、われわれが見たもののうちで四番目の並はずれた大木であった」と『江戸参府旅行日記』に記しています。この船頭木の大楠は当時の山家宿のシンボル的存在であったようです。

 楠の空洞で何者か焚火をして焼失し、今では楠の大樹を見ることができませんが、山家宝満宮末社である宇賀神社の社は、この船頭木の大楠をくりぬいて作られています。また楠材の一部は地元の人々にも配分されたようで、扁額や大きな一枚板の板戸とされ、現在にも伝わっています。

追分石。筑紫野市歴史博物館で常設展示されている
▲追分石。筑紫野市歴史博物館で常設展示されている

 山家宿の西構口を300mほど下った「大又」(長崎街道と日田街道の交差点)付近に建っていたと思われる追分石には「右肥前 太宰府・長崎 原田」「左肥後 久留米・柳川 松崎」と記されています。参勤交代の年には、旅人や異国人も含め1年間で数万人がこの山家宿を通って江戸、大坂、長崎や九州各地に向かったと推定されています。この追分石を見ていると、当時の人々の足音が今にも聞こえてきそうです。 

次は、原田宿へまいります。


長崎街道を歩こう!

【山家宿】
○江戸時代の国名/筑前国
○現在地/福岡県筑紫野市大字山家一帯
○アクセス/
  電車…JR筑豊本線(原田線)筑前山家駅下車。徒歩5分
  車…九州縦貫自動車道 筑紫野ICから 15分
○まつり/山家岩戸神楽(10/17)

【筑紫野市歴史博物館】
○所在/福岡県筑紫野市二日市南一丁目9-1
○開館時間/9:30~18:00
○入館料/無料 ※特別展示内容によっては負担をお願いすることもあります。
○休み/月曜日(祝日は開館)  年末年始12/28~1/4
○駐車場/あり
○お問い合わせ/筑紫野市歴史博物館 TEL/092-922-1911
○アクセス/
  電車…JR鹿児島本線〔二日市駅〕を下車し徒歩10分
  バス…西鉄天神大牟田線〔西鉄二日市駅〕バス停より、山口、平等寺、むさしヶ丘団地、東町、西鉄二日市駅(済生会病院、二日市温泉、市役所経由)行き〔パープルプラザ前〕下車
  車…九州縦貫自動車道筑紫野ICより5分

【写真&資料】
筑紫野市歴史博物館

【参考】
筑紫野市歴史博物館HP http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/index.htm
飯塚市観光ガイドマップ
『江戸参府紀行』 斉藤信訳 東洋文庫

【参考文献】
『長崎街道を行く』 著/松尾卓次 発行/葦書房