長崎街道

神埼宿へ
~唯一残る一里塚と特産のそうめん~

ひのはしら一里塚
▲ひのはしら一里塚

 神埼宿入口手前に「ひのはしら一里塚」が残っています。一里塚はその名の通り1里おきに設けられた塚で、街道を歩く重要な目印でした。5.5メートル四方に塚を築き、松などを植えていました。神埼宿の一里塚は長崎街道の一里塚の中でたった一ヶ所現存している貴重なものです。当時の旅人は長い旅の中でこの一里塚を目指し、その塚ごとに見える景色を楽しみながらひと休みをしたことでしょう。
 神埼宿のある神埼市は、脊振山系が連なる山間部と佐賀平野が広がる平坦地から形成される美しい町です。残念ながら当時の宿場の面影は明治7年の佐賀の役で焼失してしまったため見ることはできませんが、当時の香りを留める様々な歴史や文化が名残を残すところもあります。「水の郷」としても有名な神埼宿を歩いてみましょう。

櫛田宮
▲櫛田宮

 神埼宿の東と西の入口にははね上げ式の木戸がついていました。入ってすぐ、右手に見えてくるのが円楽寺です。中ほどには、櫛田宮があり、街道に面して立派な肥前鳥居が立っています。櫛田宮は博多の櫛田神社の本宮とされており、近くには藩の迎賓館とも言える御茶屋がありました。その先にはケンペルやシーボルトなどの外国使節団も泊まった眞光寺、浄光寺などの脇本陣、宿内には高札場、駅馬問屋場などもありました。櫛田宮で2年に1度行われるみゆき大祭で人々の人気を集める締元行列は、参勤交代の様子を真似て取り入れたものだそうです。

 神埼は長崎県島原に並ぶそうめんの九州2大産地として、そうめんが代表的な特産物になっています。神埼そうめんの歴史は380年前にさかのぼります。小豆島より諸国行脚の旅を続けていた一人の雲水が神埼で病に倒れ、助けてもらったお礼にと手延べそうめんの製法を伝授したのが始まりだと言われています。城原川の清流や山麓でとれる良質の小麦、北風を遮る脊振山系など、神埼はそうめんづくりに適した場所でした。当時は農閑期の副業として広まり、全盛期には300軒を越える製麺所があったそうです。
製麺所の立ち並ぶ通り 神埼そうめん
▲製麺所の立ち並ぶ通り ▲神埼そうめん

 高級な食べ物だったそうめんが庶民に広まったのは江戸時代。幕末から明治維新にかけては、「仁比山(にいやま)うどんに佐賀下地(さがしたじ)(煮出汁)、神埼そうめんシャキシャキシャキ」というはやし歌が広まりました。山麓のおいしい水と水車製粉で作られたうどん、城下町佐賀のダシの味、伝統ををもつ神埼そうめんの舌触りの良さを讃えたものだそうです。佐賀藩への献上品にもなっていたそうめんは、まさにお殿様のお墨付きだったと言えるでしょう。庶民にまで広まった新しい食文化は郷土の味と深く結びつき、はやし歌になるほど人々の舌を楽しませていたようです。神崎宿を訪れた多くの旅人もきっと神埼そうめんを食べていたのでしょうね。脊振山系の豊かな水、広大な自然、水車で引いた小麦など神埼だからできた特産物なのかもしれませんね。

次は境原宿へ参ります。


長崎街道を歩こう!

【神埼宿】
○江戸時代の国名/肥前国
○現在地/佐賀県神埼市
○アクセス/
  電車…JR長崎本線中原駅から徒歩約20分
  車…九州自動車道・長崎自動車道東脊振ICから車で15分、鳥栖JCTから車で20分
○まつり/神埼そうめん祭り(5月)、長崎街道かんざき宿場まつり(7月下旬)、堀デーちよだ(8月)、脊振わんぱくまつり(8月お盆)

【ひのはしら一里塚】
○所在/佐賀県神埼市
○アクセス/
  電車…JR長崎本線神埼駅から徒歩約15分
  車…九州自動車道・長崎自動車道東脊振ICから車で12分

【櫛田宮】
○所在/佐賀県神埼市
○アクセス/
  電車…JR長崎本線神埼駅から徒歩約8分
  車…九州自動車道・長崎自動車道東脊振ICから車で15分

【参考文献】
『長崎街道を行く』 著/松尾卓次 発行/葦書房
長崎街道~長崎街道を活かした地域づくり~HP
神埼市HP
ZANZA crossroad saga 佐賀県危機管理・広報課

【写真&資料】
写真&資料提供 神埼市役所商工観光課

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